病院で「適応障害」と言われたとき、正直ほっとした話

ニャック

こんにちは、ニャックです。

病院で「適応障害ですね」と言われたとき、
正直に言うと、僕は少しほっとしてしまいました

深刻な話のはずなのに、安心してしまった自分に、あとから驚いたくらいです。

でも今なら、その理由がよく分かります。

それまでの僕は、ずっと自分自身を疑い続けていたからです。

ニャック

「自分が弱いだけなんじゃないか」って、ずっと考えていました。

今回の記事では、
なぜ診断を受けるまでそこまで追い込まれていたのか、
そして、なぜ診断を聞いて安心してしまったのか。

その前半として、病院に行くまでの話を書いていきます。

目次

「まだ大丈夫」と言い聞かせ続けていた

体調がおかしいと感じ始めたのは、今思えばかなり前でした。

眠りが浅くなり、朝起きた瞬間から疲れている。
仕事のことを考えると、理由もなく胸がざわつく。

でも、その時の僕はこう思っていました。

「忙しい時期だから仕方ない」
「インフラ運用なら、これくらい普通」

夜間対応や休日対応も、これまで何年もやってきました。

多少しんどくても、無理をすれば回ってしまう。
それが、この仕事の怖いところでもあります。

ニャック

「回っている=大丈夫」だと思い込んでいました。

不調の理由を、全部「自分のせい」にしていた

仕事は嫌いじゃない。
投げ出したいと思っているわけでもない。

それなのに、体と心がついてこない。

この状態がいちばんつらかったのは、
原因が分からなかったからです。

理由が分からないと、人はどうするか。

だいたいの場合、
「自分が悪い」という結論に落ち着きます

僕もそうでした。

「もっと要領よくやれたら」
「ちゃんと切り替えられる人間だったら」

そんなふうに、ずっと自分を責めていました。

ニャック

今思えば、かなり危ない考え方でした。

病院に行くのが、怖かった

病院に行こうと思えなかった理由は、はっきりしています。

診断がつくのが怖かったからです。

もし何か言われたら、
今の働き方ができなくなるかもしれない。

「使えない人間」だと思われるかもしれない。

そんな想像ばかりが先に浮かびました。

だから僕は、
「病気じゃない自分」でいようとしていたんだと思います。

ニャック

行かない理由を探すのは、得意でした。

それでも「一度ちゃんと聞いてもらおう」と思えた

最終的に病院へ行こうと思えたのは、
「これ以上、自分だけで判断するのは無理だ」と感じたからです。

仕事の判断なら慣れている。
障害対応なら冷静に考えられる。

でも、自分の状態だけは、
どうしても客観視できなくなっていました。

正解が欲しかったわけではありません。

ただ、
「理由を知りたかった」

この時点では、
「適応障害」という言葉を期待していたわけでもありません。

ただ、何かしら説明がつけばいい。
それだけでした。

そして、病院で医師の口から出た言葉が、
思ってもいなかった形で、僕を少し楽にしてくれます。

医師の言葉は、とても淡々としていた

診察室で、これまでの状況を一通り話しました。

仕事のこと。

生活のこと。
眠れないことや、朝動けなくなったこと。

感情的に話したつもりはありません。

むしろ、「できるだけ冷静に説明しよう」と意識していました。

医師は、途中で大きくうなずくこともなく、
淡々と話を聞いていました。

質問も、最低限です。

正直、その時点では、
「ちゃんと伝わっているのかな?」
と少し不安でした。

そして、ひと通り話し終えたあと、
医師は静かにこう言いました。

「適応障害ですね」と言われた瞬間

「今の状況だと、適応障害と考えていいと思います」

声のトーンも、表情も、
本当に淡々としていました。

ドラマみたいな重さは、ありません。

でも、その一言を聞いた瞬間、
胸の奥がすっと軽くなった感覚がありました。

ニャック

あれ? 今、少し楽になった…?

自分でも意外でした。

もっと落ち込むと思っていたし、
怖くなると思っていました。

でも実際に出てきた感情は、
安心感に近いものでした。

「自分が壊れたわけじゃなかった」と思えた

なぜ、ほっとしたのか。

それは、「理由」がはっきりしたからだと思います。

今までの僕は、
うまく動けない原因を、すべて自分の中に探していました。

気合が足りない。
甘えている。
弱い。

でも、診断を聞いた瞬間、
その考え方が少しだけ変わりました。

「環境と状態が合っていなかっただけ」

そう説明してもらえたことで、
自分自身を全否定しなくて済んだんだと思います。

ニャック

壊れたわけじゃなかったんだ、って思えました。




診断名は「逃げ道」じゃなかった

正直に言うと、
診断名をもらうことに、どこか後ろめたさもありました。

「病名を理由に楽をするんじゃないか」
「逃げていると思われるんじゃないか」

そんな気持ちも、少しはありました。

でも、実際は逆でした。

診断名は、
逃げ道ではなく、
説明書のようなものだった。

「なぜ今の状態になっているのか」
「何を変えないといけないのか」

それを考えるための、
スタートラインに立てた気がしました。

ニャック

やっと、話を前に進められる気がしました。

「ほっとした」自分を、否定しなくていい

もしこの記事を読んで、
「診断を受けて安心するなんておかしいのでは」
と感じた人がいたら、こう伝えたいです。

それは、おかしくありません。

理由が分からない状態が、
いちばん人を追い込みます。

だから、理由が分かった瞬間に、
少し楽になるのは、自然な反応だと思います。

僕の場合、
「適応障害」という言葉は、
終わりではありませんでした。

むしろ、立ち止まるための合図でした。

ニャック

やっと、自分を守る方向に考え始められました。

このあと、休むことになり、
自分の考え方や働き方を見直す時間が始まります。

「休んでみて初めて分かったこと」
「自分の思考のクセ」

それが、次の記事の話です。

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