
こんにちは、ニャックです。
インフラ運用の仕事を続けていると、
ふとした瞬間に「自分、この仕事向いてないのかな……」って、
立ち止まってしまうことがあります。
正直、僕自身もこれまでに何度もそう思ってきました。
ただ、休職などを経て少し離れた視点で考えられるようになった今は、「向いていない=能力が足りない」と決めつける必要はないんじゃないか、と感じています。
それは、自分と仕事の間の何かがズレているサインだったのかもしれません。
「向いてないのは、自分のせいなのか? それとも、条件のせいなのか?」
この記事では、向き不向きを“才能の問題”にしないための考え方を、体験ベースで整理します。
医療的な判断ではなく、あくまで僕の体験ベースです。しんどさが強い場合は、早めに産業医や医療機関などに相談してください。
「向き不向き」の正体は、才能よりも日々の“摩擦”
向き不向きの話になると、どうしても性格や才能のせいにしたくなります。
でも僕の体感では、もっと地味な要素が積み重なっていました。
- 仕事の進め方のズレ(判断の重さ/関係各所との調整の多さ)
- 評価のズレ(平時は評価されにくく、障害時だけ目立つ構造)
- 生活リズムのズレ(夜間対応・休日対応が当たり前になっていく)
こういう「摩擦」が大きすぎると、どんなに技術があっても心は削れてしまいます。
「向いていない」と感じる時、それは能力不足というより、摩擦が許容範囲を超えて“熱を持っている状態に近いのかもしれません。
難しさではなく、“壊れる条件”が揃っていないか
同じインフラ運用でも、現場の“条件”ひとつで、しんどさは全く変わります。
- 属人化(特定の誰かに依存しすぎている)
- 仕組みの弱さ(手順や基準が曖昧で、緊急時だけ根性で乗り切る)
- 期待値の過剰(「全部守れて当たり前」を背負わされる)
この状態で「自分は向いていない」と悩むのは、ある意味で自然な反応だと思います。
向き不向きを問う以前に、誰がやってもいつか壊れる条件の中で必死に踏ん張っているだけ、ということもあります。
「向いてない」は、結論じゃなくて環境点検のサインかもしれません。
現場の作業よりも、増えすぎた「役割」が重い
僕が一番ズレを感じたのは、ここでした。
作業自体が嫌いになったというより、「判断・調整・説明」ばかりが増えて、脳が常にフル回転している状態が続くことがしんどかったんです。
運用には、手を動かす人もいれば、標準化を進める人も、調整を担う人も必要です。
でも、今背負っている役割が、自分の大切にしたいもの(体力・家族・睡眠・心の余白)とズレている時、僕たちは「向いていない」という言葉で自分を責めてしまいがちなんですよね。
「辞めるか、我慢するか」の二択から離れてみる
向いていないと感じた時、頭の中はどうしても二択になります。
辞めるか、しんどさを抱えたまま続けるか。
でも、この極端な二択こそが、一番自分を追い詰めてしまうことが多かったです。
答えを急がず、あえて「中間の選択肢」を残しておくこと、
それも自分を守る一つの技術だと思います。
- 環境を微調整する(同じ運用でも、文化や仕組みが違う場所に目を向ける)
- 役割の線引きを見直す(調整を抱えすぎていないか、分担できないか相談する)
- 一度、立ち止まる(相談する/診てもらう/強制的に余白を作る)
「向いていない」という感覚は、人生の結論ではなく、今の生き方を再設計するための入り口なのだと思います。
答えを出さないための、自分への問いかけ
もし今、「向いていない」と自分を責めてしまっているなら、
僕は、こんな問いを自分に投げるようにしています。
- しんどいのは「仕事内容」?それとも「条件」?
- その役割、本当に自分ひとりで抱えなきゃいけない?
- “向いていない”の正体、実は深刻な睡眠不足じゃない?
- 今のまま走り続けたら、一番先に壊れるのはどこ?
この問いに、すぐ答えが出なくても大丈夫です。
「答えが出ない」ままでも、少しずつ整理していく過程そのものが、自分を守る小さな盾になってくれたりします。
ここから読めます
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「向いてる/向いてない」を、経験からもう少し具体的に言語化した記事です。

30代で気づきにくい「無自覚な消耗」について書いた記事です。

続けるか迷った時に考えた「辞める/続ける」の判断軸です。

夜間対応が当たり前になっていく怖さ(構造の話)です。

「障害が起きないほど評価されない」構造に気づいた話です。

まだ迷っている、答えが出ていない話(同じ温度感)です。

そして、迷った時に戻れる“原点”の話です。ここだけは最後に置いておきます。





