
こんにちは、ニャックです。
インフラ運用の現場で長く働いていると、
周囲からこんな言葉をかけられることがあります。
「ニャックさんは、本当に責任感が強いですね」
以前の私は、それを最高の褒め言葉として受け取っていました。
「信頼されているんだ」「期待に応えなきゃ」と。
でも、ある時ふと気づいたのです。
その責任感が、少しずつ自分の選択肢を減らしていたことに。
この記事では、
責任感が強いことが、いつの間にか負担に変わっていた話を、
僕自身の体験をもとに書いてみます。
「ちゃんとやる」が、いつの間にか「自分だけがやる」に
最初から、無理をしようと思っていたわけではありません。
- 任された仕事は、きちんとやりたい
- 自分が見ているシステムで、障害は起こしたくない
- 気づいたことがあるなら、見過ごしたくない
インフラ運用において、
これらはごく自然で、正しい姿勢だと思います。
ただ、
「誰かがやらなきゃいけないなら、自分がやればいい」
という考えを繰り返すうちに、
本来はチームで分担すべき重さまで、
少しずつ自分の方に寄ってきていました。

当時は、それが「プロとしての基準」だと思い込んでいたんですよね
「評価を求めない」美徳が、境界線を消していく
責任感が強い人ほど、
評価や感謝を強く求めなくなる気がします。
- 目立たなくてもいい
- 感謝されなくてもいい
- とにかく問題が起きなければそれでいい
そうやって動いているうちに、
「どこまでが自分の仕事か」という線引きが、
だんだん曖昧になっていきました。
気づけば、
仕事量は増えているのに、達成感は薄れていく。
代わりに増えていったのは、
「もし自分がここで手を離したら、回らなくなるかもしれない」
という、不安でした。
こうした感覚は、
自分の性格だけの問題ではなく、
インフラ運用という仕事の構造が
そう感じさせている部分もあるのかもしれません。

「自分で選んでいる」からこそ、弱音が吐けなかった誰かに強制されたわけではなかった
振り返ってみると、
誰かに無理を強いられていたわけではありません。
上司に命令されたわけでも、
断れない空気だったわけでもない。
自分で選んで、引き受けてきたことの積み重ねでした。
だからこそ、余計にややこしかったのだと思います。
「自分で選んでやっているんだから、しんどいなんて言えない」
そんなふうに考えて、
気づかないうちに自分で逃げ道を塞いでいました。

責任感は、ときどき自分自身を縛ることもあります。。
「やれるか」ではなく「やるべきか」を考えるようになった
ある時から、
こんな問いを自分に投げかけるようになりました。
「それは、やれるかどうかじゃなくて、
本当に今の自分がやるべきことなんだろうか?」
責任感があること自体は、間違いなく強みです。
ただ、それが常に自分を削る方向に働いているなら、
一度立ち止まってもいいのかもしれません。
- 完璧を目指しすぎない
- 自分がやらなくても回る余地を残す
- 頑張れない自分も、そのまま受け入れる
「頑張れる自分」と
「頑張りすぎてしまう自分」は、同じものです。
どちらかを否定するのではなく、
そのバランスを取り直すことも、
一つの責任の取り方なのだと感じるようになりました。
とはいえ、
すぐに答えが出るわけではありません。
僕自身も、
続けるかどうかを感情だけで決めないために、
一度、考え方を整理しました。

おわりに
責任感が強い人ほど、
静かに消耗していきます。
もし今、
少しだけ疲れていると感じているなら、
それは弱さではありません。
ここまで、
ちゃんと考えてきた証拠だと思います。

答えが出なくても大丈夫です。
僕も、まだ考え続けています。
一人で抱え込まず、
少しずつ整理しながら、
自分にとって無理のない形を探していけたら。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。。






